必要とされる場所で地域を結び まっすぐ進む

2022.10.1

長崎半島の南端に位置する長崎市野母町。かつての町名から「野母崎」と呼ばれる人口4500人ほどの小さな地域。周囲を海に囲まれた土地には手つかずの自然が残り、晴れた日にはサンゴ礁で海がグリーンに輝く。世界文化遺産の軍艦島は船で5分の距離にあり、陸地から写真が撮れる唯一のスポットでもある。

そんな小さな地域に2021年、新しい施設がオープンしその周辺は一気に多くの人が訪れる場所となった。5月にホテルオーシャンリゾートNomon長崎が、10月には長崎市恐竜博物館が完成し、長崎のもざき恐竜パークとしてオープンした。オープンからの半年で約20万人が訪れ、大人から子供まで楽しめる人気のスポットになっている。

二つの施設を立ち上げ責任を担っているのは、大成不動産システム株式会社の安達考紀さん。オーシャンリゾートNomon長崎の開業責任者として再建に携わり、現在は大成不動産システム事業企画部部長兼、長崎のもざき恐竜パーク所長を任務している。

野母崎出身の安達さんだが、今の会社に所属していて任された仕事ではない。
今とは別の仕事についていたころに、野母崎の一番大きな施設だったホテルが閉業してしまい、安達さんのもとに地元から、なんとかならないかと多くの声があった。誰に頼まれたわけではないが、地元野母崎をなんとかしようかという意識が湧き行動に移した。

ホテル事業に携わっている現在の会社に自ら話をし、まずは入社することから始まった。役員会でホテル再建のプレゼンテーションを行ったが、コロナ禍ということもあり、ほとんどの役員から反対される。それでも地域貢献のような事業は会社の基盤に持っていた方が良いと必死にプレゼンテーションをし、社長の後押しもあってホテル再建に向けてスタートした。ホテルに隣接する場所に、計画中だった長崎のもざき恐竜パークの指定管理者獲得も視野に、両方の施設を運営し地域全体を盛り上げていきたいと安達さんの新たな道が始まった。

野母崎で数々の恐竜の化石が発掘されたことをうけ建てられた「長崎市恐竜博物館」。長崎のもざき恐竜パークは、博物館を中心に様々な施設で構成されている。

安達さんは恐竜パークを立ち上げる時、子供達の夢が叶う施設にしたいという思いを掲げてスタートさせた。
恐竜について知るだけではなく、恐竜を通じて子供達が未来の可能性を考えられる施設を目指している。またイベントもたくさん開催している。恐竜に関するイベントはもちろん、それ以外のジャンルのイベントもたくさん行い、子供達が様々なことに触れる機会を作っている。
「学者になりたい、恐竜の博士になりたい、そういう子供を一人でも生み出せたら成功だなと思っている」
安達さん自身も、夢を持ち高校卒業と共にミュージシャンを目指し上京、その後プロのミュージシャンとしてデビューし夢を叶えている。その経験と重なり、子供達が夢に向かって進む楽しさ、夢を叶える喜びを知ってほしいという思いも感じられる。
恐竜パークに来たことがきっかけで夢ができた子供達が、大人になり夢を叶えて恐竜パークを訪れ、懐かしむ姿が見れる日が楽しみだ。

長崎市立恐竜博物館の常設展示室。海側は、総ガラス張りで景色と展示物が融合し野母崎の自然と恐竜標本の迫力がマッチしている。野母崎の魅力にあった設計になっている。
長崎市恐竜博物館内、研究者の仕事が目の前で見られるオープンラボのエリア。こんな仕事もあるのかと子供達の夢にも繋がる。
子供広場には、恐竜をモチーフにしたいくつもの遊具があり、恐竜について学びながら遊べる。

野母崎は、小さい地域ながらも二十店舗ほどの飲食店があり、昔からある定食屋さんや移住者や若い方が新しく出したお店なども増え、新旧のお店が共にがんばっている。
その地域のお店と恐竜パークの橋渡しとしても安達さんは、様々な形で連携をとっている。
この日はこんな企画があるのでこのくらい人が来ますなど、まず情報を発信をする。お店に赴き商品の提案をしたりもする。例えばケーキ屋さんで恐竜のケーキを作ってみないかなど、どうしたら地域の経済が回せるか一緒になって考えている。

短期間で多くの人が来ることは今までになかった野母崎。どのように人を受け入れて良いか分からなかった地域を安達さんが上手く結び、一緒になって作っていくと地域全体がうまく動き出した。
最初のころは変わらないことを望み、マイナス志向の人も多かった。住み慣れた地域が変わっていくことは、誰でも抵抗がある。それでも、たくさんの人が訪れ活気が湧き、経済も回りだすと、やりがいがうまれ、地域全体が現実的にできることを考えるようになった。
「『安達ちゃん、こんなことしたいんやけどパークでどうにかしてや。』今ではわがままをいう人もいる。」
わがままをいうほど地域の人が何か生み出そうとプラス志向に変わったことは、嬉しく、安達さんのやりがいにも繋がっている。同時に、安達さんが信頼され、親しみやすい存在であることが、地域の人達からも施設スタッフとの雰囲気からも伝わってくる。

恐竜パークに入店するお店の店長と。県外から移住し、恐竜パークにお店を構えた。

安達さんと同年代、若い世代の地域のお店のオーナーを恐竜パークに定期的に呼んで、ディスカッションのようなものもしている。十年後、二十年後どんなお店を作りたいか、自分の施設の運営だけでなく地域が長く頑張れるようオーナー達の志を絶やさないように一緒になって考えている。
毎月のように開催しているイベントも、地域の飲食店に出展してもらい地域で作るイベントとして若い世代に自分たちの手で作りあげてもらっている。
地域の力を引き出しながら、引っ張っていく安達さんの姿は、同年代の励みになり刺激となっているだろう。

ホテルでは地域に根付いた運営を目指し、スタッフの約9割が地元の人だ。
「この1、2年はスキルアップを目指し、長い目で地元のスタッフがパワーアップする場所とも考えてやっている」
リゾートホテルであるNomon長崎は少しレベルの高い接客を要し、地元のスタッフはそれを身に付ける必要があった。スタッフのサービスやお迎えする気持ちを少しずつレベルアップするため、定期的にベテランのスタッフに来てもらい研修を行っている。

1時間かけて市街に働きにいっていた人も、通勤時間が短縮され地元で落ち着いて仕事ができるようになった。都会で働らかなくても、高いスキルを身に付けることができ、多くの人とも触れ合うことができる。親しんだ土地で、地元にも貢献できる良い循環となっている。

今では人気の施設となり良い結果を出せているが、オープンするまでは大きなプレッシャーを感じながら苦労もたくさんあった。
「新しいことをどんどん考えてやらないといけない、周りからは少し走りすぎと言われながらそれを振り払ってやってきたのは大変だった。信頼してもらうために、結果を出し続けることも大変だった」

施設内部のこと以外にも、ごみや交通インフラなどの問題を一個ずつ解決していった。中でも苦労したのは、料理人など遠くから招いた人の、住むところがなかったということ。過疎化した地域には、空き家はあっても貸せる状態ではない家ばかりだった。家の持ち主のところに足繁く通い、頭を下げ無理をいって何とか住める状態にしてもらい、必要な家を確保した。
そのことをきっかけに、行政に掛け合い半年話し合いを重ね、空き家バンクのシステムを構築してもらった。
新しく生まれる問題にも解決まで取り組み、人がたくさん訪れるだけではなく、住みやすい地域にもなってきている。

二つの施設がオープンして一年が経つが、安達さんは今もまだ走り続けている。
これまでのことは、言葉で表せないほどの日々だった。良い結果を出せている背景には、単に施設をオープンさせただけではなく、野母崎全体が上手く動くことを第一に考え地道に取り組んでいる日々があるからだ。

「地元の人との時間を過ごす中で、自分が必要としてくれる場所が最大のメリット。みんな必要としてくれる場所をさがしていて、故郷に結びつくんじゃないかなと思う」
安達さんが日々頑張れる源は、自分で生み出した必要とされる場所があるからだろう。
野母崎がより良い地域になっていくことを楽しみながらまっすぐ進む姿は、これから長崎を作っていく子供や若い人達の目に触れ、夢のきっかけとなるかもしれない。

プロフィール

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安達 考紀さん
長崎県長崎市野母町出身。1980年生まれ。高校卒業と同時にミュージシャンを目指し上京。23歳でプロのミュージシャンとしてデビュー。ロックバンドのボーカルとしてライブなどの音楽活動、FMのパーソナリティなどで活躍。2007年ITの会社を立ち上げ、アプリの制作会社を経営。2015年家族の事情で帰郷後、プロの競輪選手のトレーナーを勤める。2020年大成不動産システム㈱に入社。2021年オーシャンリゾートNomon長崎開業責任者、長崎のもざき恐竜パーク所長に就任。

オーシャンリゾートNomon長崎

Instagram(@a.kouki0716)

ライター/ 古川祥子